日本のワールドカップ初出場を決めた男 岡野雅行の高校時代が凄すぎる!

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もうずっと昔の話です。
日本は今は当たり前にサッカーのワールドカップに出られるようになりましたが、2002年に韓国とのワールドカップ共同開催が決まっていながら、日本はワールドカップに出たことがありませんでした。

1998年のワールドカップ最終予選で日本は初めてのワールドカップ出場を決めます。

延長戦の末、エース中田英寿の左足のミドルシュートを相手ゴールキーパーがはじいたこぼれ球。そのボールをゴールに押し込んだのが、岡野雅行という選手でした。

とにかく足が速く、野犬に追い掛けられても追いつかれなかったほどで、『野人』というニックネームを持っていました。

その岡野雅之選手が最近高校時代のことを話してくれましたが、その内容が凄すぎるものでした。

中学時代はサッカーにも勉強にもあまり身が入らなかった岡野少年。遊ぶことが楽しくなってしまったのだそうです。ゲーセン通いしていました。この時期のゲーセン通いは楽しいんですよね~。

岡野少年を気にかけていた親戚のおじさんが岡野少年に島根県の高校を薦めます。礼儀正しい校風であり、全寮制でサッカーに思う存分打ち込めるよ、と。岡野少年はそれも良いな、と考えて入学を決めます。

ところが入学してビックリ。その高校は日本中のヤンキーが集まる学校だったのです。
学校は規則や礼儀に厳しい環境でした。早朝からお祈りや掃除があり、一年生は上級生にひたすらしごかれます。

これは体育会系ならよくあることですが、何よりきつかったのは、なんとこの学校にはサッカー部がなかったのです!

なんてこった。。。騙された。。。
そう思っていた岡野少年に救世主が現れます。
それは一つ上の先輩でした。この人もサッカー部があると言われて入学していました。一年間、壁に向かってボールを蹴っていたそうです。しかもユニフォームを着て。。。

二人はサッカー部を創設することを校長に嘆願して許可をもらうことに成功します。ここから部員探しが始まります。

意外にも20人ほどが集まります。しかし、集まったのはやはりヤンキーばかりでした。
練習場が学校から離れていたので、移動していると他校のヤンキーと遭遇して、すぐにケンカが始まります。でも、練習は真面目にやっていました。

練習すると試合がしたくなります。岡野少年は他の高校に練習試合をお願いする電話をかけまくります。ただ、そこはヤンキー高校。なかなか受けてくれる学校が見つかりません。

そんなある日、練習試合を受けてくれる学校が見つかったのです!
練習試合当日、喜び勇んで相手の学校に行ってみると、そこは荒れ果てていました。校舎は落書きだらけ。窓ガラスは全て割れていたそうです。

サッカー部はというと、なぜか学ランにスパイクというスタイル。ケンカっ早い他のサッカー部メンバーは、キックオフと同時に乱闘になり、試合になりませんでした。

岡野少年は他のサッカー部メンバーに言います。僕はサッカーがしたいんだ。ケンカがしたいんじゃない。僕はサッカー部を辞める。

他のサッカー部メンバーは岡野少年に試合を壊してゴメンと謝罪しました。
ここから、サッカー部は猛練習を重ねて、県でベスト4に入るまで登りつめます。

岡野少年の最後の大会を迎えます。三年間の集大成。相手はずっと勝っている学校だったので、勝利間違いなしと思っていました。

しかし、相手校は奇策に打って出ます。それはチームの中心選手の岡野少年に3人のマークをつけることでした。岡野少年がボールをさばいてチャンスを演出するスタイルだったため、大苦戦。勝負はPK戦までもつれます。

全員が決めて、5人目は岡野少年。
ボールは無情にもゴールネットを揺らせず、失敗。岡野少年は立ち上がることができませんでした。

チームメイトが岡野少年に駆け寄り、こんな言葉をかけます。
「外したのが、岡野で良かった。これなら俺達も納得できる。」
映画を観ているかのようなラストでした。


岡野選手はその後、浦和レッズなどで活躍して引退しましたが、今は出身高校がある島根県のお隣の鳥取県のチームに勤めています。

高校時代のチームメイトも支えてくれているそうです。そして、あのときのチームメイトがサッカーを子ども達に教えているところを見たのが何より嬉しかったと話していました。


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