貴乃花親方、理事落選!

大相撲の理事選が行われました。

貴乃花一門阿武松親方を立てて、一門としての理事を確保した上で、貴乃花親方は落選覚悟で理事に立候補しました。

理事の定数と立候補数が同じで、選挙なしでの理事選を良しとしなかったのでしょう。
また、他の一門で造反者が出ることを少しは期待したのかもしれません。
十年前の初めて立候補したときのように。

貴乃花親方の得票は2票でした。目論見は外れてスッキリ落選しました。

でもこれで良かったと思っていると思います。無選挙で決まるより、やるだけやった方がマシです。

日馬富士の親方である、伊勢が浜親方は出馬しませんでした。妥当な判断と思います。

それに対して、大きな不祥事が続いていたにも関わらず、八角理事長は再選しました。
責任取るのが組織の長の仕事ではないですか?
それとも、大相撲の様々な問題は理事長に責任がないと思っているのでしょうか?

これからどんな施策が行われるのか、分かりませんが、場当たり的で意味のないことばかりになる気がします。
長が責任を取らない組織に未来はありません。

日本のワールドカップ初出場を決めた男 岡野雅行の高校時代が凄すぎる!

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もうずっと昔の話です。
日本は今は当たり前にサッカーのワールドカップに出られるようになりましたが、2002年に韓国とのワールドカップ共同開催が決まっていながら、日本はワールドカップに出たことがありませんでした。

1998年のワールドカップ最終予選で日本は初めてのワールドカップ出場を決めます。

延長戦の末、エース中田英寿の左足のミドルシュートを相手ゴールキーパーがはじいたこぼれ球。そのボールをゴールに押し込んだのが、岡野雅行という選手でした。

とにかく足が速く、野犬に追い掛けられても追いつかれなかったほどで、『野人』というニックネームを持っていました。

その岡野雅之選手が最近高校時代のことを話してくれましたが、その内容が凄すぎるものでした。

中学時代はサッカーにも勉強にもあまり身が入らなかった岡野少年。遊ぶことが楽しくなってしまったのだそうです。ゲーセン通いしていました。この時期のゲーセン通いは楽しいんですよね~。

岡野少年を気にかけていた親戚のおじさんが岡野少年に島根県の高校を薦めます。礼儀正しい校風であり、全寮制でサッカーに思う存分打ち込めるよ、と。岡野少年はそれも良いな、と考えて入学を決めます。

ところが入学してビックリ。その高校は日本中のヤンキーが集まる学校だったのです。
学校は規則や礼儀に厳しい環境でした。早朝からお祈りや掃除があり、一年生は上級生にひたすらしごかれます。

これは体育会系ならよくあることですが、何よりきつかったのは、なんとこの学校にはサッカー部がなかったのです!

なんてこった。。。騙された。。。
そう思っていた岡野少年に救世主が現れます。
それは一つ上の先輩でした。この人もサッカー部があると言われて入学していました。一年間、壁に向かってボールを蹴っていたそうです。しかもユニフォームを着て。。。

二人はサッカー部を創設することを校長に嘆願して許可をもらうことに成功します。ここから部員探しが始まります。

意外にも20人ほどが集まります。しかし、集まったのはやはりヤンキーばかりでした。
練習場が学校から離れていたので、移動していると他校のヤンキーと遭遇して、すぐにケンカが始まります。でも、練習は真面目にやっていました。

練習すると試合がしたくなります。岡野少年は他の高校に練習試合をお願いする電話をかけまくります。ただ、そこはヤンキー高校。なかなか受けてくれる学校が見つかりません。

そんなある日、練習試合を受けてくれる学校が見つかったのです!
練習試合当日、喜び勇んで相手の学校に行ってみると、そこは荒れ果てていました。校舎は落書きだらけ。窓ガラスは全て割れていたそうです。

サッカー部はというと、なぜか学ランにスパイクというスタイル。ケンカっ早い他のサッカー部メンバーは、キックオフと同時に乱闘になり、試合になりませんでした。

岡野少年は他のサッカー部メンバーに言います。僕はサッカーがしたいんだ。ケンカがしたいんじゃない。僕はサッカー部を辞める。

他のサッカー部メンバーは岡野少年に試合を壊してゴメンと謝罪しました。
ここから、サッカー部は猛練習を重ねて、県でベスト4に入るまで登りつめます。

岡野少年の最後の大会を迎えます。三年間の集大成。相手はずっと勝っている学校だったので、勝利間違いなしと思っていました。

しかし、相手校は奇策に打って出ます。それはチームの中心選手の岡野少年に3人のマークをつけることでした。岡野少年がボールをさばいてチャンスを演出するスタイルだったため、大苦戦。勝負はPK戦までもつれます。

全員が決めて、5人目は岡野少年。
ボールは無情にもゴールネットを揺らせず、失敗。岡野少年は立ち上がることができませんでした。

チームメイトが岡野少年に駆け寄り、こんな言葉をかけます。
「外したのが、岡野で良かった。これなら俺達も納得できる。」
映画を観ているかのようなラストでした。


岡野選手はその後、浦和レッズなどで活躍して引退しましたが、今は出身高校がある島根県のお隣の鳥取県のチームに勤めています。

高校時代のチームメイトも支えてくれているそうです。そして、あのときのチームメイトがサッカーを子ども達に教えているところを見たのが何より嬉しかったと話していました。


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キタサンブラック 有馬記念優勝からお別れセレモニーまでのまとめ

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12月24日中山競馬場にて競馬の有馬記念が行われました。

単勝1.9倍と圧倒的な人気を集めた、北島三郎オーナーのキタサンブラックが、武豊騎手の絶妙なペース配分の逃げ。最後の直線に入ってからも他馬を突き放す強さで圧勝しました。

レース後の武豊騎手の優勝騎手インタビューでは、圧倒的な一番人気に支持してくれたファン、北島三郎オーナー、その他競馬関係者の期待に応えて優勝できたことで、ホッとしているといった様子でした。
また、キタサンブラックという名馬に巡り会い、とても大切な時間を過ごしたこと、騎手としても成長させてもらったことに対して感謝していました。
武豊騎手はこの日は他のレースには一切騎乗せずにキタサンブラックとのラストランに集中していました。通常、大きなレースがあっても騎手はたくさんのレースに騎乗します。この点からも武豊騎手がこの有馬記念にどれだけの想いも込めていたたが分かります。

その後のお別れセレモニーでは、クリスマスイブの夜にもかかわらず、大勢の競馬ファンが競馬場に残ってセレモニーに参加。

北島三郎オーナーの挨拶に始まり、武豊騎手、さらにはキタサンブラックがはじめてG1を勝利した菊花賞のときに騎乗していた北村宏騎手も登場しました。北島三郎オーナーの粋なはからいですね。
さらには、普段キタサンブラックを調教している黒岩騎手も登場しました。キタサンブラックは多くの人に支えられて名馬の階段を駆け上がってきたんですね。

一通りの挨拶が終わったところで、北島オーナーが突如、新曲を作ったことを発表します。タイトルは『ありがとうキタサンブラック』です!
北島オーナー、キタサンブラックのことが大好き過ぎて歌まで作っちゃいました~!しかもこの曲は三番まで作られている気合いの入りようで、北島オーナーの想いが溢れています。
ちなみに、この曲は配信されています。収益は引退名馬繋養展示事業にも役立てられるそうです。

このときは生歌ではなくVTRで披露された『ありがとうキタサンブラック』。
でもやっぱりファンは北島オーナーのあの曲の生歌が聴きたい。やっぱり『まつり』です♪

北島オーナーはしっかりファンの気持ちに応えて『まつり』を披露してくれました。クリスマスイブの最高のプレゼントをありがとうございました☆

いつか、キタサンブラックの子どもたちが産まれて、武豊騎手や北村宏騎手が騎乗して、競馬場で活躍することを楽しみにしています。
ありがとう、キタサンブラック

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メリクリ

LINEのCMでBoAのメリクリが流れています♪

懐かしの名曲でクリスマスムードを盛り上げてくれますね。
LINEもクリスマス効果で新商品が盛り上げがってくれると良いですね。

ちなみに、BoAはBeat of Angel の略称です。

侍ジャパン、優勝!

野球の日本代表、侍ジャパンが韓国に7-0で勝利して、大会を制しました。

今日は安心して見ていられる展開でした。
やっぱりピッチャーが大事ですね。

良い日曜日をありがとうございます。